人車鉄道

人車鉄道 ミニチュア

あれっ? どこかで見たことある人が車両の中に!
もしかしたら、あの人が柴又に向かってるのかもしれません。
 
【豆知識】
人車鉄道は、正式には帝釈人車鉄道株式会社によって運営(途中で帝釈人車軌道株式会社に社名変更)され、 明治32年の12月から、大正2年の8月までの13年間人の力で参拝客を柴又まで運びました。
庚申の時には、一日に一万人もの人が押し寄せ6人乗りの車両64台をフル稼働させても、間に合わない状態だったそう。 なんせ人力ですからね。当然6人が乗った車両を押し手、「おっぺしや」が一人で押すのは大変で最初動き始めるまでは 、乗客に若い男性がいれば一緒に押して、動き始めてから飛び乗ったという話です。
こんな逸話からも古き良き日本、そして下町の温かさが感じられますね。
ちなみに運賃は、葛飾⇔柴又の片道が5銭。往復がちょっとサービスで9銭。
あんぱんが1個1銭、牛乳が1本3銭という時代なので、そう考えるとちょっと割高な気がしますねぇ。でも人力ですから。。
柴又⇔金町間約1.5kmを人力でどのくらい時間がかかったんでしょうか。お疲れ様でした。

発車ボタン

人車鉄道発車ボタン

さぁ、お待ちかねの人車鉄道。
このボタンを押せば、金町から柴又までおっぺしやが運んでくれます。
よーく覗いてみると、中には見覚えのある顔が・・・。
あの人がまた帰ってきたみたいです。
いや、考えてみると人車鉄道は大正2年で終了してるから、本当はあの人も乗ったことはないんですね。ここはご愛嬌ということで。

生まれも育ちも葛飾柴又

「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」コーナー

寅さんが生まれ育った葛飾柴又の昭和30年代の風景がジオラマで再現されています。
探した見ましたが、ワンパク小僧の寅さんは見つかりませんでした。ひょっとしたらどこかに隠れてるのかもしれません。
 
看板があって指定の場所に立って見ると、こんな感じに見えます・・・。

ジオラマ

遠近法を使って、短い距離で奥行き感を出しているようです。
 
実際寅さん記念館に行ってみた時もそうでしたが、今改めてこうして自分の撮った写真を見ていても懐かしいです。
今は失われた下町の街並み・・・。それは本当かもしれませんが、柴又に来るとその一部がまだここには残っていると思いました。
物を買うにしても、レジでバーコードをただ読み込むんじゃなく、人との会話がある。都会だからこそ、こんな元々はあたりまえのことが 嬉しかったり、温かかったりするんでしょう。
 
続く・・・。

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